B. 父親は家に帰ってきたとき、ずいぶん年をとっていたから
C. 父親はよく出かけていて、家にいないことが多かったから
D. 父親は東京にいるときも、映画や買い物に出かけていたから
59. 「報告してくれる」とあるが、母親はどんな気持ちで話しているのか。
A. 本当は行きたくなかったので、不満だ
B. 夫に何度も誘われるので、困っている
C. 娘に心配をかけたので、安心させたい
D. 夫と食事や映画に行くのも、悪くない
60. 筆者は両親について、どのような気持ちを持っているのか。
A. 父親が母親の腕をとって歩いたりするのは、恥ずかしい。
B. 父親がよく家にいて二人が仲良くしているのが、うれしい
C. 出かけるときだけでなく、家でも二人に仲良くしてほしい
D. 父親が勝手に好きなことばかりするので、母親が気の毒だ
四、 空欄埋め (1点×10=10点)
翻訳における意味の変容を二つの側面から考察する(61)ができる。一つはもとの言葉(言語と翻訳語)がもっていた意味の喪失であり、もう一つは翻訳された側の言語内(62)新しい意味の創出である。「自然主義」という翻訳語を例(63)挙げれば、元来人為的にあえて意識したり行為したりしない(64)の意味を持つ「自然」が、「主義」と(65)ことによって、あえて「自然のままに」自然を対象化する(人為を加える)という矛盾した意味が生まれ、心境小説、私小説という独特のジャンルが生み出された。(66)、翻訳とは、Aという言語文化の一要素を、たんにBというもう一つの言語文化の中に移行する(伝達)ということではなく、意味の変容を通じてAの中にもBの中にもなかった言語文化を、Bの言語文化の中に創出することである。翻訳における意味の変容とは、(67)見方を変えれば、意味の取替え(68)ある。翻訳における異文化との出会いは三つの段階を通じて遂行される。すなわち、意味不明なところを不明な(69)に受容(異文化の受容)、意味の漸次的な理解(=意味の変容)、新しい意味の創出(=文化の創出)である。こう考える(70)、翻訳も文化の形成という点からきわめて重要であることが理解されよう。
61. A もの B. ところ C.とき D.こと
62. A にの B. への C.での D.との
63. A に B. は C.を D.が
64. A わけ B. はず C.もの D.べき
65. A する B. できる C.される D.させる
66. A つもり B. そして C.だから D.それから
67. A すなわち B. また C.まだ D.つまり
68. A にも B. とも C.でも D.へも
69. A ところ B. とおり C.くせ D.まま
70. A し B. と C.や D.が
翻訳
(一) 次の下線をつけた部分の日本語を中国語に訳しなさい。(2点×5=10点)
(1)読むという古くて実は新しい問題については、まだほとんど何もはっきりしたことが分かっていないと言ってよい。そのために、根拠のない考えがもっともらしく通用したりしている。(2)読むという作業を全く受身の活動と考えるのもその一例である。読者は容器か、あるいは液体を吸収するスポンジのようなものだと考え、(3)物を読むのは、それに水入れたり水を吸わせたりすることに似ているというような考えが、最近まで支配的であった。入れ物に物を入れるのは、いわば物理的作業である。(4)そういう仕事なら機械的処理もそれほどまで困難ではなかろう。ところが、(5)実際には機械による読書が当分は少なくとも全く考えられないほど難しいのは、発信者から受信者へ情報が移動するということだけで読みの作業が説明できないからである。